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経済の大きな流れ ―問題点と将来の展望― 【第1回】平穏に過ぎた平成経済

水谷 研治(みずたに けんじ) 名古屋大学 客員教授

日本経済は成長力を失くした。それでも大きな歪みはなく、国民は安寧を貪っている。身近な目先の問題を議論するだけで、国全体の将来を考えることが少ない。しかし、個人にとっても企業にとっても、国家経済の影響は大きい。日本経済の将来を展望し、対応を考えるシリーズ連載。

平穏に過ぎた平成経済 ―下げ続ける世界での地位―

 平成は激動の時代であった。予想もしなかった阪神淡路大震災によって大被害が起きた。東日本大震災は大津波を伴い大打撃をもたらした。大地震はその他の各地でも起きている。大雨による被害も酷かった。
 世界は歴史的な激動となった。世界中を二分してきた一方の代表である社会主義国のソ連が崩壊したからである。新しい世界が始まり中国が躍進し、世界経済は高い成長を続けた。その反面、各国間の対立は姿を変えて激化しており、治まる気配がない。多くの国で国内ならびに地域内での対立が目立つようになり、国際的な秩序が安定する見通しがつかない。世界の金融界を揺るがせたリーマンショックで打撃を受けた国も少なくない。
 
 その中で我が国は多くの深刻な問題を乗り越え、平穏すぎるほど平穏で安定した社会になっている。
 激動の昭和時代、日本は廃墟から急激な経済成長を続け、一挙に世界の最高峰を目指すまでになった。それに対し、平成時代になると経済は成長しなくなった。平成経済は文字通り平(たいら)に成ったと言えよう。それでも景気が大きく落ち込むことなく過ぎていった。国民は平穏に慣れ、大きな不満を聞くことがなくなった。
 
 世界では苦境にあえぐ国がある反面、躍進した国も少なくない。多くの国は成長を続けている。その結果、成長しない我が国の世界の中における地位は下がり続けている。我が国の経済が成長しなければ、この低下傾向が続くであろう。すなわち日本の地位は下げ続け、将来の日本国民は世界の中で肩身の狭い思いをするようになっていく。
 
 方向を転換しなければならない。現状に安住するのではなく、我々は向上を目指す必要がある。そのためには我々の考え方を根本から変えることが必要である。
 
 先輩の長年にわたる努力のおかげで現在の我が国は素晴らしい製品に満たされ、人々は好きなものを選んで豊かな暮らしを楽しむことが出来る。
 問題は豊か過ぎることである。よい製品をいくらでも作ることが出来る。しかし売れなければ作り続けることが出来ない。生産活動が停滞し、企業経営が苦しくなり、場合によると従業員を整理しなければならない。失業者が増え、賃金が減れば、人々は生活防衛を考え、買い控えるであろう。ものが一層売れなくなる。すなわちデフレである。
 デフレを克服する必要がある。働き過ぎて生活を楽しむ時間がないことが消費を伸ばせない要因と言われる。無理に働くことを止め、消費生活を楽しむべきであると言われる。
 
 一方、企業は長引く低迷のために投資意欲が下がって来る。それが供給力を縮小させる。しかし過大な供給余力があるため、問題にされることが少ない。
 ただしこのような動きが、長期的に見ると日本経済の成長力を阻害する。そこに目を瞑り長年にわたって目先のデフレ対策に注力してきた。
 
 赤字財政による景気振興である。その結果として現在の経済水準が成り立っている。
 
 この水準を維持するためには膨大な赤字財政によって国債残高を急増させ続けなければならい。赤字は供給余力がある間は問題にならない。ところが供給余力を食い潰した後、経済は一挙に崩壊する。
 転換するためには大改革による景気の大幅な悪化が避けられない。日本経済の再発展のためには我々が一大決心をする必要がある。それを一年も早く始めなければならない。しかも長年にわたり辛抱強く続ける必要がある。
 しかし、その後には再発展の道が開ける。我々の決意が試される令和の時代である。

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水谷 研治(みずたに けんじ) 名古屋大学 客員教授 1933 出生
1956 名古屋大学経済学部卒業
1989 経済学博士(名古屋大学)
1956 東海銀行入行
1960-62 経済企画庁へ出向
1964-65 NY CITI Bankへ出向
1974-83 清水 秋葉原 八重洲 ニューヨ-クの各支店長
1983-92 調査部長
1993 東海銀行専務取締役退任
1993-99 東海総合研究所 理事長 社長 会長
1999-2008 中京大学教授
2012- 名古屋大学客員教授