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鉄は錆びない【第3回】~常識を問い直しましょう~

川添 良幸(かわぞえ よしゆき) 東北大学 未来科学技術共同研究センター

 生まれてこの方、学習、経験によって常識は形成される。本質的に間違っていても生活には困らないため、実はとんでもない誤解をしていることもある。教科書問題は歴史だけではない。数学、理科、その他、何にでも沢山ある。
「将来の日本を担い、ノーベル賞受賞者となる若手研究者を育てるには、単なる改良型の教育・研究ではいけない」と言うのは川添良幸教授。科学の本質に迫るシリーズ連載。

第3回:鉄は錆びない

 前回の周期律表の続きです。メンデレーエフの時代には、元素の純度はそう問題にはなりませんでしたし、測定精度もそんなになかったのです。それと100原子番号以上の元素等まで人工的に作られるとは思いもつかないことでした(ただ、2016年に理化学研究所で合成に成功したニホニウムの寿命は2ミリ秒で、我々の普通の感覚での「存在」とは大分違います)。周期律表を見ると如何にもその元素が純粋に存在してるかのごとく思えます。
 
 しかし、最高の純度を達成し、現在の文明を支えるシリコンでさえせいぜい10-11の純度です。99.999999999%と沢山の9を書く(イレブン・ナイン)ので如何にも純粋に思えますが、シリコンの1モル(アボガドロ数の原子、6.02×1023個)は手のひらに載る位の量です。その中には何と1013個(10兆個)も不純物が含まれているのです。純金(24金)の規格はもっと雑で99.99%以上となっています。純愛の印の24金の指輪を交換しても指輪の中には山ほど(1020個)不純物が入っています。人間の心も同じなのかも知れません。しかし、これらはまだまだ純度の高い方なのです。市販の元素の純度はxNと表示されますが、レアメタルと呼ばれる金属には3N=99.9%どころか2N=99%が最高純度、しかも相当の価格という元素もあります。(レアというのは、その存在量が少ないというよりは、精製過程も含め我々が利用するために必要が量を取り出しにくい元素を指します。)これらを混ぜ合わせて使用目的にあった性質を有する合金を作るのですから、買ってきた場所、企業によって出来上がりの合金の性質が変わったりするのです。
 
 我々に馴染み深い鉄はどうでしょうか?鉄は錆びるから、台所用品、トイレ、巨大な配管までクロムを混ぜて錆びなくしたステンレス鋼を使っていると思っている人が多いのですが、そうではありません。昔から鉄を作るには、砂鉄を集め、炭をおこして高温にして溶かしています。そのため炭素の混合した鉄が出来上がります。一般的には炭素量が0.02%未満を鉄、それ以上2.14%までを鋼(はがね)、さらにそれ以上を鋳鉄(鋳物)と分類します。
 
 一方、JIS規格では、我が国が鉄鋼王国だったこともあり、極めて多くの種類に分類されています。この「鉄と呼ばれるもの」が錆びるのです(黒さびはFe3O4、赤さびはFe2O3)。クロムを混ぜた鉄では、クロムが鉄より酸化しやすいため、先に酸化クロムが表面を覆います。そのクロムの錆が透明なため、錆びないと誤解されています。この酸化クロム被膜のため鉄が空気に曝されないので、酸化鉄は発生しません。これが「鉄」が錆びて、ステンレス鋼が錆びない理由なのです。
 
 他にも、火の中で刀鍛冶が叩くこと(鍛造)によって純度を上げた日本刀や、図1に示すリンを含む鉄を鍛造して作られているインド国デリー郊外の鉄柱も錆びないことで知られています。
 さて、鉄の純度はどれ位まで達成されているのでしょうか?
 現在最高純度の鉄は10-5(99.9996%、ファイブ・ナイン)で2011年に東北大学の安彦兼次客員教授が、真空中で溶かした鉄から不純物を抜き出す方法で作りました。こうなると塩酸に曝しても酸化しません。さらに、手で簡単に曲げることが出来るほど柔らかいのです。このように教科書に書いてある「鉄」とは全く違う性質になるのです。しかし、値段が高過ぎて、標準を決める等の特殊目的(標準物質)には重要でも、実用化出来る訳ではありません。
 
 この様に、周期律に書いてある「元素」が自然界では純粋には存在しないため、実験では不純物を含む「元素」の性質しか調べられないのです。1回目に書いた様に、やってみても分からないのです。
 
 では、どうしたら純粋単一元素物質の性質を確実に調べられるのか?
 
 それは量子力学を使うことで可能となります。古典力学を使って宇宙船がイトカワから石を運んで来れる精度の計算が可能な様に、量子力学を活用すれば純粋な物質を精密に調べることが出来ます。量子力学方程式を解いた解の精度は実験結果を上回れるのです。この研究方法を第一原理計算法と呼びます。しかし、如何に現在のスーパーコンピュータが高速・大容量と言っても、具体的に活用されている材料は極めて複雑で、そのものずばりを高精度に解ける程のパワーはありません。そのためモデル化を行い、実験を説明するレベルに留まっていることが多いのですが、原理的にはそうではありません。特に、純鉄の様な場合には威力を発揮します。最近では、新材料探索方策に人工知能を適用したマテリアルズインフォマティクス(MI、Materials Informatics)が盛んになり、より迅速に有用材料探索を高信頼性で実施できるようになっています。
 

図1.インド国デリー郊外にある錆びない鉄柱(中央左に細く見える)。1500年以上雨風に曝されながら錆びないのは、表面を覆うリン酸化合物被膜によるとされる。筆者が気になって現地に行って撮影。
 
 
 
 


(注1) 本文中では材料と物質という2つの用語を使いましたが、他にも原料、素材、生地、資材と場合によっていろいろ使い分けられています。英語ですと全てMaterialです。これは我が国が材料立国で、多くの人がそれに関係しているからだと思われます。
 
(注2) 2016年に理化学研究所が原子番号113の元素の合成と証明に成功し、ニホニウム(Nh)と命名されました。アジア初の元素と騒がれましたが、実は1908年に筆者が所属していた東北大学金属材料研究所の小川正孝がニッポニウム(Np)を見つけました。当時はX線分光装置がなく質量を間違えて、43番元素と発表しました。43番元素(テクネチウム、Tc)は不安定で自然界にはほぼ存在せず、人工合成された最初の元素です。今では、小川の元素は75番元素のレニウム(Re)と思われていますが、質量を間違えて発表したため取り消されてしまいました(一度は周期律表に載っていました)。レニウムはジェットエンジンのタービンブレード等に使われています。なお元素記号Npは今ではネプツニウムに用いられています。Npを見る度、ニッポニウムと読んでしまうのは筆者だけではないのでは?

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川添 良幸(かわぞえ よしゆき) 東北大学 未来科学技術共同研究センター 昭和22年仙台生まれ、昭和50年東北大学大学院理学研究科博士課程原子核理学専攻を修了(理学博士)。東北大学教養部物理学科助手、同情報処理教育センター助教授、同金属材料研究所教授。定年後は未来科学技術共同研究センターで教授、現在はシリアリサーチ・フェロー。アジア計算材料学コンソーシアムACCMS創設。ナノ学会設立に貢献。現在、インド国SRM大学卓越教授、中国復旦大学顧問教授、ベトナムICTセンター長、民間企業3社顧問。