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「美しい国」の構造分析【第1回】―日本農村社会学再考―

中筋 直哉 (なかすじ なおや) 法政大学社会学部教授 地域社会学・都市社会学専攻

「『美しい国』の構造分析:日本農村社会学とは何だったのか?」
日本の社会学のなかでも独特の消長を見せた日本農村社会学の魅力を省みながら、現在の中山間地域問題、コミュニティ問題への応用可能性を探る。

第1回 歴史のなかの日本農村社会学

この「美しい国」(安倍晋三)は、どのような社会なのだろうか。そして、どのような可能性と課題を持っているのだろうか。私たち社会学者は、この問いに答えるのに非常に有用な知識を持っている。それはこの国の社会を、歴史的に形成され、ある程度の広がりと頑健さ、すなわち構造を備えた事実として分析するもので、日本農村社会学と呼び慣わされてきた。

 
日本農村社会学は1930年代に起こり、1950年代にもっとも多産であった。しかし、高度経済成長に伴う産業構造の変動と、いわゆる「基本法農政」(1961年~)による農業・農村の変容によって論拠となる事実が失われ、さらに国際化が進むなか、自国の特殊性を過大に評価していると批判され、人気は墜ちていった。いま日本農村社会学に関心を寄せる社会学者、再評価に挑戦する社会学者は多くない。

 

もっとも21世紀になってから、コミュニティ再興を主張する社会学者たちが、日本農村社会学の成果の一部を再評価し、彼らの主張の補強材として用いようとしている。それに連れて若い社会学者たちの中にも、日本農村社会学への関心が少しずつではあるが芽生えてきているようだ。

 

本稿は、そうした再評価の流れにある程度棹さしながらも、やや違ったかたちで日本農村社会学を読み直してみたい。すなわち一部ではなく全体像を捉えること、またそれが消長した歴史のなかに置き直してみること、さらにそれを政治的主張ではなく社会理論として定式化することである。なぜなら、もともとの日本農村社会学こそは歴史と理論に自覚的な学問運動だったからである。

 

さて、ここまで日本農村社会学という呼称を説明なしに用いてきた。なぜ、ただの日本農村の社会学ではないのか。それはこの用語が、日本、農村、社会という3つのパーツが不可分に結びついたものだからである。日本農村社会学の創始者の1人である鈴木栄太郎(1894―1966)は、自著に『日本農村社会学原理』(1940)の名を与え、冒頭で3つのパーツの不可分性を詳細に論じた。また日本農村社会学の完成者である福武直(1917―1989)も、旧農林省からの委託研究の成果であり、基本法農政の根拠となったといわれる編著に『日本農村社会の構造分析』(1954)の名を与えたのである。3つのパーツの不可分性は、くどい言い方をすれば、農村によって大部分が構成された日本の社会構造を、現実の農村の社会調査によって分析する学問、ということになるだろう。

 

現代の私たちには馴染みがないが、日本農村社会学が起動した1930年代は、日本の社会科学へのマルクス主義の適用をめぐる「日本資本主義論争」の真最中で、そこでも日本における資本主義か、日本固有の資本主義かが争点になっていた。日本農村社会学のもう1人の創始者である有賀喜左衛門(1897―1979)は、両者に対抗して自説を「第三の立場」と主張したが、先ほどの言い方を踏まえれば、第三というより、やや日本固有の資本主義の立場に近かったといえるだろう。

 

日本農村社会学を語る上で欠かせないもう1つの論点は、鈴木栄太郎も有賀喜左衛門も、柳田国男(1875―1962)の影響を強く受けていたことである。鈴木の『日本農村社会学原理』は、理論的核心である「自然村理論」(第2回で詳述)の論拠の多くを柳田の編んだ『山村生活の研究』(1937)に頼っている。また柳田が官を辞した後(正確には委任統治委員に就任)自宅で欧米の学問の導入に苦心していた雑誌『民族』時代(1925~1929)、有賀はその協力者の1人であり、また柳田の古稀記念論文集『日本民俗学のために 二』(1947)の巻頭に代表作「同族と親族」を寄せたが、そこで展開される同族と組の循環理論も(これも第2回で詳述)、柳田の『日本農民史』(1931)にヒントを得たものであった。

 

もう1つ新しい論点を提示したい。それは鈴木も有賀も、日本の社会学がM.ウェーバーの巨大な影響を受ける前に、自らの学問上の立場をほぼ確立していたことである。鈴木はイギリスの社会学、政治学、有賀はフランスの社会学、文化人類学を十分に学んでいた。ただし、このことを彼らだけの未熟さと理解してはならない。たとえばアメリカ社会学最初の体系的教科書である、R.E.パーク・E.W.バージェス編『社会学という科学への入門(通称グリーン・バイブル)』(1921)がウェーバーに言及するのは1924年の第2版以降で、しかもごくわずかである。つまり日本農村社会学は、シカゴ学派都市社会学と同じく、ウェーバー流の個人主義的方法論に「汚染される」前の社会学の1つの型だったのであり、現代の私たちにとっては、逆に、ウェーバー流の西欧近代中心主義を脱構築するオルタナティブな思考の源泉とすることができるかもしれない。

 

次回は、鈴木、有賀、そして福武の、それぞれの理論と方法を明らかにしたうえで、その交点において、日本社会の構造をどのように解明できるのか、検討する。

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中筋 直哉 (なかすじ なおや) 法政大学社会学部教授 地域社会学・都市社会学専攻 1966年神戸市生まれ
東京大学文学部卒、東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程修了、博士(社会学・東京大学) 東京大学助手、山梨大学助教授を経て、2001年より法政大学勤務

著書・編著:
『群衆の居場所:都市騒乱の歴史社会学』(2005,新曜社)
『よくわかる都市社会学』(五十嵐泰正と共編著,2013,ミネルヴァ書房)
ひとことPR:
17年間社会人大学院で政策研究に取り組む社会人を教えてきました。50人近い修了生が私の自慢です。