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原発から保育園まで、多様化する迷惑施設と当事者の優位化【第1回】

野波 寬 (のなみ ひろし) 関西学院大学 社会学部

 社会全体(みんな)のために必要な公共施設。それは分かるけれど、でも我が家の近くに建てられるのはイヤ。
 いわゆる迷惑施設は、かつて原発や廃棄物処理場などが代表例だったが、最近は保育園や公園など、ご近所の身近な公共施設まで“迷惑施設化”する例が散見される。迷惑施設が多様化した背景とその解決策について、社会心理学や道徳心理学の研究をもとに解説してもらう。
 キータームは「NIMBY問題」と「当事者の優位化」、そして「トロッコ問題」。

第1回:ガバナンスの普及が迷惑施設を多様化させる

 いわゆる迷惑施設と呼ばれる公共施設は、その必要性には多くの人々が同意する一方、「私の庭先ではゴメンこうむる」と近隣での立地には誰もが反対するという、NIMBY(ニンビィ、Not in my backyard)の問題をはらんでいます。このような公共施設は、かつて原発や廃棄物処理場などが代表例でした。しかし最近、保育園や公園や児童相談所など、ご近所の身近な公共施設までが“迷惑施設化”する例が多発しています。
 
 迷惑施設は、なぜこれほど多様化したのでしょう。残念なことですが、市民参加の普及、市民の権利意識の高揚がその一因になっていると考えられます。
 

ガバナンスの落とし穴

 公共施設の是非をはじめ、政策の決定とはおおぜいの人々に影響が及びます。こうした決定を、行政など一部の人々や組織のみが単独で行う仕組みを、一元的統治(ガバメント)といいます。これに対して、多様な人々が話し合いを通じて決定を行う仕組みは、共同的統治(ガバナンス)と呼ばれます。たとえば原発の是非について、日本では2011年以降、地元の人々や行政・政府だけでなく、国民全体の意見も踏まえて決めていこうとの動きが高まりました。企業の動向もおおぜいの人々に影響を及ぼしますが、ここでも企業の社会的責任(CSR)を問う声の高まりとともに、社内関係者や株主のみならず部外者まで交えた企業統治(コーポレート・ガバナンス)の事例が増えました(筆者の勤務する大学でも、学内の改革や運営を議題にした会議になるとガバナンスという言葉が何度も飛び交います)。
 
 独断専行の印象があるガバメントに比べ、人々の話し合いにもとづくガバナンスが日本で普及しつつあるのは、望ましいと言うべきでしょう。ところが、多様な人々の参加を前提とするガバナンスには、さまざまな意見や価値観をくみ上げることができる利点がある一方で、その多様な人々の間に齟齬や混乱が発生しやすい欠点もかかえています。参加する人々が多様になればなるほど、「誰が決定権を持つべきか」「その権利の根拠は何か」といった決定権をめぐって人々の判断が相互にくいちがう事態となり、それによる係争のリスクも高まりやすいと言えます。多様な人々が参加するガバナンスでは、まずそもそも「誰が決定すべきか」の合意を人々の間ではかっておかないと、「どんな決定をすべきか」という本質的な合意にたどりつけないわけです。
 

議論の前に決定者の合意を

 保育園、公園、児童相談所――これらの公共施設も、その是非を決定するにあたって「当事者」「非当事者」や「反対派」「推進派」、あるいは「市民」「行政」といった、立場や利害、価値観の異なる多様な人々の意見をくみ上げることは、もちろん大切な手続きです。「どんな決定をすべきか」の判断にあたり、それら多様な意見を反映させるのが重要であることは言うまでもありません。しかし、どんな決定を行うにせよ、その前に「誰が決定すべきか」についての合意を、人々の間に成立させておく必要があるでしょう。
 
 もし、「誰が決定すべきか」という合意が成立しないまま、一足飛びに「どんな決定をすべきか」を決めようとすると、どのような事態になるでしょうか。私たちはたいてい、自分の意見こそが正義であり、他の人々よりも自分の「決定権」こそが重視されてしかるべきと信じがちです。人間には誰しも、客観的な根拠はないのに自分の意見が世の中の多数に受容されているはずだと考える傾向があり(社会心理学で「偽の合意」といいます)、そのため、「自分の決定権が一番だ、自分の意見にみんな従うべきだ」という自分の考えに、周りの人々みんなが同意している……ついつい、そんなふうに信じてしまことが多いのです。「誰が決定すべきか」の合意がなされないまま、一人ひとりがみんな「自分の決定権が一番だ」と信じる人々が集まったガバナンス。意見が百出して議論が活発なように見えますが、誰もが自分が一番と信じて譲りませんから、実は決定のできない議論だけの議論が続く、そんな事態になってしまいます。
 
 議論によってものごとを決めることを是とし、多様な意見を持つ市民が発言することが当然の権利と目されるようになる、つまりガバナンスが普及すると(それ自体は決してまちがったことではありません)、皮肉なことに、それがかえってものごとの決定を難しくしてしまう事態も増えてきます。迷惑施設が多様化した背景には、こうした要因もあるのでしょう。「誰が決定すべきか」「その根拠は何か」についての判断は、実際には驚くほどバラバラで、人ごとに異なることが多いのですから、まず「誰が決めるべきか」の合意をみんなで共有しておき、その上で議論を開始する。決定を導くための「実りある討議」の在り方を知っておかなければなりません。

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野波 寬 (のなみ ひろし) 関西学院大学 社会学部 名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期中退
同文学部助手を経て、現在、関西学院大学社会学部教授
主著:
『正当性(レジティマシー)の社会心理学』(ナカニシヤ出版, 2017)
『“誰がなぜゲーム”で問う正当性』(ナカニシヤ出版, 2017)ほか