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中国の三位一体成長戦略:日中による一帯一路版OECDの設立を【第2回】

朽木 昭文(くちき あきふみ) 日本大学 生物資源科学部

中国の成長戦略は、「自由貿易試験区」、「中国製造2025」、「一帯一路建設」の三位一体で進んでいる。自由貿易試験区における外資を導入し、中国製造2025の産業政策を行う。中国製造2025の先端技術のセンターの1つは北京の「中関村科技園」であり、多数の世界500大企業を生み出した。一帯一路建設が、自由貿易試験区と参加国とをインフラ建設による「連結性」の強化により連携させる。日本は、一帯一路建設へ長期的にできるだけ早く参加することが不可避であることを説明する。
産業政策における「外資導入」政策と「国内産業育成」政策
自由貿易試験区と中国製造2025

産業政策としての「自由貿易試験区」と「中国製造2025」

 1993年に世界銀行が出版した『東アジアの奇跡』は、「韓国と日本で産業政策が成功した場合の条件は優秀な官僚が存在したことである」と分析した。1978年の改革開放政策以後の中国は、採用された産業政策が有効であったことを経済実績が示している。つまり、優秀な官僚が存在していることを示している。
 
 中国は、2010年に日本の名目国内総生産(GDP)を上回り、世界第二位となった。そして、1人当たりGDPが2014年に7,589USドルとなり、「中所得国のわな」の水準となり、そこから脱するために産業構造の高度化、成長戦略の策定を迫られる。そこで、産業政策として、戦略的新興産業を策定し、それを中国製造2025と融合する。この過程の中国の産業政策を表1により説明する。
 
 産業政策は、改革開放による「外資導入政策」と「国内産業育成政策」の両方を実施してきた。そして、前者が「自由貿易試験区」に、後者が「中国製造2025」につながっている。今回はこのことを明らかにする。
 
 産業育成政策は、1978年の改革開放政策の後を時期区分すると大きく7期に分けられる。表1は、産業政策を大きく7期に分ける。
 
 第1期の1978年に改革開放政策が始まり、市場経済の導入(1978~1986年)、第2期の市場経済の形成(1986~1992年)、第3期の市場経済と産業政策(1992~1997年)では、計画経済から市場経済への転換と続いた。
 第4期の国際競争重視(1997~2004年)、第5期の調和のとれた社会(2004~2010年)、第6期の経済発展パターンの転換(2011年~2015年)へと進んだ。第7期が2015年からであり、中所得国のわなから脱する道が見えた。

表1

(1)第1期:市場経済の導入(1978~1986年)
 第1期は、1978年から1986年までであり、計画経済が中心であり、市場経済の導入を始めた。この期の特徴は、外資導入政策として、1980年の「経済特区」の設置であった。この経済特区の成功が、後の経済技術開発区、そして「自由貿易試験区」へとつながる。
 
(2)第2期:市場経済の形成(1986~1992年)
 第2期は、1986年から1992年までであり、市場経済を導入し、進展させ、統一市場を形成した。政策手段は、「経済特区」への外資導入政策であった。
 一方で、国内産業育成政策に着手した。1988年に国家計画委員会に「産業政策司(部)」が設置され、1989年に初めて「産業政策」の名の下に重点産業が発表された。自動車の重点企業として、1987年に第1汽車、上海汽車など8企業が指定された。この産業政策が中国製造2025へとつながる。
 
(3)第3期:市場経済化の過程(1992~1997年)
 第3期は、1992年から2004年までであり、鄧小平氏が1992年に有名な南巡講話を行い、改革開放を呼び掛け、外資導入政策を進めた。その政策は、上海浦東開発を出発点とし、沿海開放都市で実施された。
 一方で、国際競争力のある国内産業の育成政策が採られた。1994年に、「産業政策要綱」は、4大支柱産業として電子・機械、建築、自動車、石油化学を指定した。そして「自動車産業政策」が導入された。
 
(4)第4期:国際競争重視(1997~2004年)
 中国は、2001年にWTO(世界貿易機関)への加盟により、外資導入政策を進め、企業の国際競争力を高めることを目指した。それまでの深圳を中心として成功した華南経済圏に加えて、上海を含む長江経済圏、そして北京・天津を含む環渤海経済圏への外資導入政策は、中国の成長を飛躍させた。
 
(5)第5期:調和のとれた社会(2004~2010年)
 中国経済はこの期を前後して、前回に説明した「転換点」を過ぎた。2004年から、国際競争力を重視する外資導入政策だけではなく、自主技術重視の国内産業育成政策として「自主ブランド」自動車の創出を目指した。
 
(6)第6期:発展パターンの転換(2011年~2015年)
 第12次5カ年計画(2011-2015年)は、7大「戦略的新興産業」を指定した。地域政策は、更に拡大し、成都・重慶経済区を軸とする西部大開発と東北地域振興へ重点を移した。
 
(7)第7期:新時代の中国の特色ある社会主義(2015~)
 中所得国のわなから脱出するために三位一体の成長戦略が見えてきた。国内改革の中心に外資導入政策による「自由貿易試験区」を展開し、国内産業育成政策としての「中国製造2025」を実施した。更に「一帯一路建設」により地域統合を進める。
 

戦略的新興産業と中国製造2025

 戦略的新興産業とは、重要な先端の科学技術の進展を土台とするものである。国務院の2010年10月18日決定の7大「戦略的新興産業」の分野は、上述の第6期第12次5か年計画につながった。それは、「次世代情報通信」、ハイエンド製造業(設備製造業、自動車完成車・部品、航空設備など)、省エネ・環境保護、バイオの「4分野」、そして新エネルギー、新素材、新エネルギー自動車の「3分野」であった。4分野は国民経済の「中心的産業」であり、3分野は新しい方向性を示す「先導産業」である。
 
 次の第13次5カ年計画(2016~2020)の戦略的新興産業の5分野は、次世代情報通信、ハイエンド製造業、グリーン低炭素、バイオ、デジタルクリエイティブであり、2020年までにGDPの占める割合15%を目指す。
 
 そして、「中国製造2025」の5戦略とは、製造業イノベーション能力の向上、情報化と産業化の更なる融合、産業の基礎能力の強化、品質・ブランド力の強化、グリーン製造の全面的推進である。その10重点分野とは、「次世代情報通信」、バイオ医薬・高性能医療器械などであり、戦略的新興産業と重複している。

次世代情報通信産業

 中国製造2025のうちの次世代情報通信産業は、第4次産業革命の中核となるAI(人工知能)、モノのインターネット(IoT)、5G、ビッグデータ、クラウドコンピューティングなどを含む。中国の全国各地は、これらの産業のいずれかに特化し、産業の「集積」の形成を目指している。
 
 環渤海経済圏の北京市では、北京大学、清華大学、北京航空航天大学、北京理工大学などが、ロボット・AI・ビッグデータの専攻を新設した(1)。天津市では、5GとAIの「スマート浜海」プロジェクトによりスマートシティーの建設を進め(2)、ビッグデータ取引センターを設置している(3)。山東省済南市は、コネクテッド高速道路試験区の建設が始まった(4)
 
 長江経済圏の上海市は、国家次世代AIイノベーション発展試験区の建設を開始し(5)、AIイノベーション先導地区を建設し、医療、製造、無人運転、金融の4大領域の起点となる(6)。上海市は人工知能のコア産業の「集積」の形成を目指す。
 
 華南経済圏の広東省で5G商用化に向けた5G関連産業の「集積」の形成を目指す。ここには、ファーウェイ(華為技術)、ZTEの本拠がある(7)。広東省仏山市は、5月7日にイノベーション促進の優遇政策を発表した。その促進に向けて「広東・香港・マカオ大湾区」での人材の「集積」の形成を目指す(8)
 
 2017年の第12期全国人民代表大会第5回会議で発表された9重点分野は、過剰生産能力解消、改革開放、農業発展、対外開放、環境、社会建設、政府自身の建設のほかに、「産業構造の転換・高度化」とサービス産業の育成として教育、医療、観光産業の発展に力を入れる。
 
 以上のように、中国各地は産業の「集積」の形成を目指す。ここに、国内産業育成政策である「中国製造2025」が外資導入政策である「自由貿易試験区」とつながる。この点を次回に詳しく説明しよう。
 


(1)(新華社通信5月27日)
(2)(新華社通信5月18日)
(3)(新華社通信5月19日)
(4)(新華社通信5月12日)
(5)(新華社通信5月25日)
(6)(ジェトロビジネス短信6月3日)
(7)(ジェトロビジネス短信6月19日)
(8)(ジェトロビジネス短信6月12日)

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朽木 昭文(くちき あきふみ) 日本大学 生物資源科学部 1973年京都大学農学部卒。1978年にアジア経済研究所入所後、ペンシルベニア大学客員研究員、国際協力機構(旧海外経済協力基金)、世界銀行(上級副総裁室・上級エコノミスト)に勤務。東京大学総合文化研究科特任教授、名古屋大学、立命館大学、広島大学、埼玉大学の客員教授、早稲田大学、慶応大学などの非常勤講師を併任した。日本貿易振興機構の理事を経て、現職。現在、放送大学客員教授を兼任。