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アニメ「The Last Unicorn」―新資料から作品の主題や映像表現を考察する― 【第3回】

黒田 誠 (くろだ まこと) 和洋女子大学 准教授

世界的な人気を誇るアメリカのファンタジー作品「The Last Unicorn」。この連載では、原作と、日本の伝説のアニメプロダクションによって成されたアニメ版を比較することで、「The Last Unicorn」の哲学的主題を考察する。さらに、絵コンテやシナリオなど未公開の資料を詳細に検証することで、 原作とアニメ版に取り入れられている思想的な要素や優れた特質を探る。

第3回 「シノプシスと絵コンテ」

仮構作品の同一性を考察する上で興味深い資料が見つかった。トップクラフト社で制作された、The Last Unicornの日本語のシノプシス(映画や小説などのあらすじ)がそれだ。原作のあらすじとは明らかに異なる、先行アニメ作品らしきものの存在を示唆する要素が気になるものだ。覚書として以下のような言葉が添えられている。

 

これは、ほんとにアラスジだけで、拾い上げたキャラクターも、ラスト・シーンに至るまで続いて登場する者に限りました。省略した部分では各章ごとに、奇怪なサーカスのスタッフとか陽気な合唱団とかギターの名手とか、現れては消えて行くので、派手なお膳立てになっています。

 

 

The Last Unicornのシナリオは、原作者ビーグルが再構成したものだ。しかしシノプシスには、アニメには取り上げられていない次のようなエピソードも語られている。

 

悪玉の登場やユニコーンの疾走などに応じて、空の雲の色、野原の草花の色が変わったり、カラフルなシチュエーションになっています。

 

ランキン・バス社との合作制作手順においては、シナリオと音声はアメリカで作成されたものが送られてきて、トップクラフト社で時間内に映像を収めるという形で作業が行われた。ところがシノプシス前書きの最後の記述は、明らかにアニメとは異なる場面だ。

 

“殺戮”とか“残酷シーン”はありません。“殺し”も、動物たちが怒って魔女にとびかかって行き、丘の向こうで“助けてエ…”という声が聞こえたりする程度になっています。

 

シノプシスの作成者名は「うえのとしろ」とある。この方はアメリカとの業務提携において通訳を担当している。トップクラフト社の取締役であった原徹氏の話では、シナリオ映像化のアイデアを語る絵コンテはトップクラフト社で作成されたものだ。絵コンテに英語シナリオあるいはその翻訳が貼付けられた資料が、ほぼ全話分復元されている。
トップクラフト社は演出技術を信頼されていたので、時間の尺内では内容改変と効果音付加なども行った。アメリカのスタジオで、トップクラフト社が提案した効果音声をつくったこともある。しかし映像部分は全面的にトップクラフト社の担当だ。原作とシノプシスと完成版アニメを比較すると、背後にある仮構的原型が見えてくる。そこには、ユングの唱えた共時性の発現を思弁する糸口も読み取れる。
スタッフは原作の細密な読み込みは行っていなかった。原作とアニメは別物というのが基本認識だ。しかし原作の主題に対する反映記述が、アニメという別界面で達成されている。スタッフの直観に導かれて主題的内実を秘めたアニメが完成に導かれているのだ。“神が降りた”という表現で語られ得る印象的な事例は、ある種の精神の感応としてシンクロニシティの位相を証すものだ。

 

その白いユニコーンは、ライラックの茂る森に住んでいた。大変な高齢なのに、妖精の乙女のごとく美しかった。ユニコーンは不老不死だが、彼女には一匹の仲間もいなかった。不老不死のユニコーンたちが死に果てるはずはない。が、彼女は自分のことを“最後のユニコーン”と思っていた。

 

ユニコーンが最初から自分を最後の一頭と認識している部分が、原作ともアニメとも異なる。ユニコーンは登場した狩人達の会話を聴いて初めて、他の仲間達の存在を期待するようになる。
アニメの興味深い部分は、ユニコーンが旅を始める前に森に紛れ込んできた蝶々に出会う点だ。原作では旅の途上で蝶々との出会いがあった。アニメではユニコーン自身の心のゆらぎが、蝶々という影の存在として描き出されたと解釈できる。しかしシノプシスにおける蝶々の登場は、原作と同様にユニコーンが森を出た後のことになっている。この部分の変更は、出版の12年後に作者ビーグルが自作の内容への理解を深めた結果改めたものと思われていた。

 

魔女マミー・フォルチュナによるユニコーンの捕獲も、異なる内容になっている。シノプシスでは、ユニコーンの印象が損なわれるような改変が行われている。

 

彼女はマダム・フォーチュナに懇願する。「わたしはレッド・ブルを探しに行かなくてはならないんです。どうか、助けて…」

 

 

明らかに別の場面が記載されている。既存の映像作品のストーリーをまとめたあらすじという印象が強い。ミッドナイト・カーニバルのエピソードの締めくくりも、異なった展開となっている。

 

ユニコーンは、他の檻の動物達を次々と助けてやる。が、この動物達が恨み重なるマダムに飛びかかって行く。その隙に、ユニコーンとシュメンドリックは逃れ去る。

 

前書きの通り、マミー・フォルチュナの最期は檻から脱出した動物達の復讐によるものとされる。アニメでは原作と同様にハーピーによる殺害シーンがあり、グロテスクの要素を避けることなくこの場面を描いている。
アニメでは省略されていた、ユニコーンが立ち寄った豊かな町の様子も語られている。シナリオを簡略化する過程がシノプシスに反映されているのかもしれないが、映像や音声に対する言及が検証を要求する部分だ。
伝説の義族ロビン・フッドを騙るキャプテン・カリーのエピソードもある。しかし原作とアニメで重要主題が掘り下げられた魔法の行使の場面はない。シュメンドリックが呼び出してしまった本物のロビン・フッドがそれだ。ロビン・フッドの実体は存在せず、民衆の願望から生まれた妄想の産物であった。その非在的キャラクターを具現することができたのが真実の魔法だ。
ハグズゲイトの町のエピソードもシノプシスにはある。このエピソードをカットする前の別バージョンが、いかなる形でシノプシス作成者のうえのとしろ氏の目に触れることになったのか?

 

ハガードの城に呪いをかけた魔女は、この城下町にも呪いをかけた。“いつの日にか、この町に生まれた一人の人間がハガード城を消滅させるだろう”—と。それ以来、この町には子どもが生まれなくなった。ところが二十一年前、誰の子かわからないが、一人の赤児が生まれ、冬の夜、市場に捨てられた。が、あくる朝、その子の姿は、消えた。そして、次の日、ハガード王に待ちに待った皇子ができたことが発表された。皇子はリアと名付けられた。

 

魔女のかけた呪いと預言は主題的には重要だが、アニメでは省略されている。演出を担当した山田勝久氏の感想では、作者が思い切ってカットすることができているのが印象的だったという。アニメではレッド・ブルの登場はキャプテン・カリーのエピソードの直後に配置されていて、精神の枯渇の中で偽りの繁栄を享受するハグズゲイトの町のエピソードは省略されている。
レッド・ブルとの遭遇と、ユニコーンの人間の乙女への変身が描かれる。シノプシスでは筋の展開は分かりやすいが、軸となる主題的側面は反映されていない。このあらすじから原作の主題を把握することができたとは思えない。二次創作作品の主題的根幹部分における本質的同一性を考えさせる、形而上的関心を喚起する事例だ。
原作の哲学的発想を反映する代替映像記述が手がかりなしで達成されている事実は、意味のある偶然的同期としてユングが提示したシンクロニシティの生起を思わせる。具現化していない無数の可能性が原型的重ね合わせ状態のうちに共存し、これに対する直感的把握がある種の感応として現象化するのだ。
ユニコーンは魔法によってモータルな存在へと変えられ、不死の運命に縛られていたシュメンドリックがユニコーンとの出会いを通して再びモータルな存在へと戻る。永遠性を軸にした交差的な図式である。魔法と預言と呪いが形而上的主題軸でまとめあげられる構図は、原作では精妙な文章記述を通して語られていた。

 

人の姿になったアマルシア姫の裸形も、アニメではあるがままに描かれている。アメリカのテレビは規制が厳しいので、これは放映の際には検閲対象になる。乳房を露わにしたハーピーの姿やハーピーに殺された魔女の死骸などの凄惨な描写もある。シノプシスには残酷シーンはないと記されていたが、トップクラフト社は児童向けの制作理念を踏み越える意図を持ってThe Last Unicornの演出を行っている。

 

 

取締役であった原徹氏のお話だと、児童向け作品の放映時間は85分までという規定があった。The Last Unicornは97分で仕上げられたので、成人向けの判断のもとに制作されたことが分かる。ディズニーアニメに対する対抗戦略として『指輪の王』等の青年向けアニメが企画され、その一環としてThe Last Unicornが制作されたのだろう。

 

【画像の出典】
黒田誠『研究 アニメーション The Last Unicorn』 2012

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黒田 誠 (くろだ まこと) 和洋女子大学 准教授 和洋女子大学でファンタジー文学、アニメ、ゲーム、フィギュアなどのサブカルチャー文化を教授。
『アンチファンタシーというファンタシー』『アンチファンタシーというファンタシーII ピーターS. ビーグル 最後のユニコーン論』『研究 アニメーション The Last Unicorn』『存在・現象・人格ーアニメ、ゲーム、フィギュアと人格同一性』など著書多数。