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「国際看護」という重言を考える【第4回】

樋口まち子 国立看護大学校 教授

1980年代後半のベルリンの壁の崩壊に続くソビエト連邦の崩壊、さらに、中華人民共和国が市場経済を原理とする資本主義経済を大幅に取り入れることにより、人、モノ、カネの移動範囲が劇的に拡大し、グローバリゼーションという言葉が広く使われるようになった。さらに、21世紀に入るとインターネットの普及で地域社会や国家の枠組み、人のつながり方の液状化・流動化が進行している。他方、人類は地球規模で感染症の拡大や高齢化など、これまでに経験したことのない健康課題に直面している。そこで、グローバル化が看護に及ぼす影響と極東の島国日本の看護がこれまで蓄積してきた知識や経験を活かしつつ劇的に変化する看護ニーズにいかに応えていくのかを考えるシリーズ連載。

 困難な状況下で人間は知恵を働かせ困難を乗り越えるために新たなものを生み出してきた。その極端なものが戦争による科学技術の発展である。ナイチンゲールのクリミヤ戦争への従軍も看護の土台を形成する機会になった。また、第一次世界大戦と第二次世界大戦という大きな戦争を経験したのち勝者である連合国5ヵ国が常任理事国として国際連合を組織し、人類を破滅へと導く行為を繰り返さないために国連憲章を策定した。少し長くなるがその前文を紹介する。すなわち、「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上と促進すること並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した」。さらに、国連憲章9章55条には「経済的、社会的、文化的、教育的及び保健的分野において国際協力を促進すること並びに人種、性、言語又は宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を実現するように援助すること」を掲げている。

 
看護の立場からその一翼を担うために、ICN(International Council of Nurses、国際看護師協会)は1953年に採択した綱領で、看護師には、健康を増進し、疾病を予防し、健康を回復し、苦痛を緩和する4つの基本的責任があるとし、看護のニーズはあらゆる人々に普遍的であると明言した。さらに、看護には、文化的権利、自ら選択し生きる権利、尊厳を保つ権利、そして敬意のこもった対応を受ける権利などの人権を尊重することが、その本質として備わっており、看護ケアは、年齢、皮膚の色、信条、文化、障害や疾病、ジェンダー、性的指向、国籍、政治、人種、社会的地位を尊重するものであり、これらを理由に制約されるものではないとした。130ヵ国の各国看護協会が看護の倫理綱領に同意している。ICNに加盟している日本看護協会は、看護の使命は人間としての尊厳を維持し、健康で幸福でいたいという人間の普遍的ニーズに応え、健康な生活を実現することにあるとし、あらゆる健康レベルの個人、族、集団、地域に対して、人々の生きる権利、尊厳を保つ権利、敬意のこもった看護を受ける権利、平等な看護を受ける権利などの人権を尊重することが看護の実践倫理であると提言している。看護の実践倫理は世界人権宣言25条や日本国憲法25条にも通じるものでもある。

 
保健師助産師看護師法の5条で「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者と規定されている。このように看護は国を越えた活動であり、看護そのものが地球規模で考え行動することを意味する。

 
国際性とは異なる考え方の人々とともに仕事ができ、相手を力づけ(Empowering)、相手から学び自らも向上することができることである。そのためには、看護者各自が日々の生活と世界との関係を意識し、知ることを通して、自分の生活のあり方・生き方を見つめなおすとともに世界のさまざまな分野の動きと健康問題との関係及び看護のニーズを関連づけることを不断に行なわなければならない。それによって、相手の価値観や文化を尊重・尊敬できる能力を養うことができると考える。また、重要なことは可能な限りそのような行為を実践している人と時間を共有することである。

 
リンギスは、人間の尊厳を守ることについて「人は、隣のベッドで、あるいは隣の病室で、まったく知らない人が孤独に死につつあるときにも、そこに居続けようとする。(中略)孤独に死にゆく人を見捨てるような社会は自らその土台を崩壊されている。(中略)たとえば途上国の人々、国内で路上生活をする社会から追放された人々を見捨てることによって今まさに審判をうけている」と強調している。マザーテレサは、看護活動を通して存在意義を見失っている人々に尊厳を取りもどす支えになることが重要であるといっている。

 
自分は、他人や社会とつながっていると感じられ、危機的な状況になったとき、自分の努力ではどうにもならない時に、助けてもらえるという確信が持てること、自分はここに暮らしていてもいいんだ、自分はここで人生の最期を迎えたいと思えるような、人の尊厳・多種多様の価値観を尊重した地域社会をグローバルな視点で考えることができ、その実現のために少しでも寄与することが看職者たる必要十分条件ではないだろうか。人間は類的存在であるから他者との関係を通してしか自分を知ることはできない。他者とは人間だけでなく、芸術や自然も含まれる。それらとの関係に身を置くことは、自分の都合でスイッチをOnやOffにできない自分との折り合いが求められる。それは、時には、苦痛を伴うものである。しかし、確実に自己の確立に繋がる。人が自分の外部に出る距離が伸びるほど、自己の核となるものが必要になる。自己の核となるものが強固であるほど異なるものと関係性を確立しやすい。

 
看護職になるために、学ぶ内容は人間を健康に導くことに関係したものである。その知識をまずは、自分の心身の健康維持のために実践し、人間としての質の高い人生を歩むことによって住民や患者のロールモデルになることがケアを提供する看護職としての資格を有する条件となると考える。アメリカの心理学者マズローは、人間は自己実現に向かって絶えず成長するといい、人間の欲求を5段階の階層で理論化した。第一の段階は生理の欲求で、食事・睡眠・排泄などである。世界の中でいまだ大多数の人々が、この第一段階の欲求を満たすためだけに人生を終えることを余儀なくされているなか、日本人は、6割以上の食料を海外に依存しつつ、第一段階の欲求を充足している。食料の自給や破棄の改善が必要なことは当然である。同時に、安全の欲求、社会欲求と愛の欲求、承認(尊重)の欲求から自己実現の欲求に帰結していく機会を有していることを自覚することも必要である。自己実現は自分の能力を最大限に発揮して自分がなるべきものになっていくことであるが、地位や名声や利権などの低いレベルの承認欲求にとどまらず、自分自身への信頼感から得られる高いレベルの承認欲求を経て達成されるものである。看護活動を通して看護の対象者の自己実現にかかわりつつ、看護者自身が自己の名誉と尊厳を確立し自己実現者になれば、いかなる文化や環境を超越した、本質的な看護を実践することに繋がるのではないだろうか。住井すゑが力説した「文化とは簡単に言えば命を大切にすること」の意味を具現化することにも繋がる。

 
看護実践倫理が示すように国籍、属、閥に囚われることなくケアを必要としている人々への支援が看護の概念そのものである。したがって、かなりの時間を要するかもしれないが、看護の概念が看護を実践する看護職の血肉となり、地球上のあらゆる看護活動の場で縦横無尽に看護理論が実践できるようになれば、「国際」という言葉が、瘡蓋がはがれるように「看護」の前からこぼれ落ち、その時、始めてグローバルスタンダードな「看護」が表出してくるのではないだろうか。

 
 
 
 
 

引用文献・参考文献


*・アルフォス・リンギス、何も共有していない者たちの共同体、洛北出版、2006年

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樋口まち子 国立看護大学校 教授 経済学部と看護短期大学を卒業。タイの国立マヒドン大学で修士号(プライマリヘルスケア管理学)、スリランカのコロンボ大学で博士号(医療人類学)を取得。スリランカで青年海外協力隊、在スリランカ日本大使館専門調査員やJICAの専門家としてスリランカをはじめとするアジア諸国で10年あまりの国際協力事業に携わった後、岡山大学医学部講師・助教授、ミシガン大学ヘルスプロモーション研究センターで文部科学省在外研究員、静岡県立大学看護学部教授を経て、07年より現職。