連載

一覧

「箸文化」の天・人関係のバランスを重視する認識【第3回】

馬 彪 山口大学大学院東アジア研究科教授

漢字文化とアルファベット文化との間に相異があるように、箸文化は西洋のフォーク文化と比べてみると、西洋式のようになにもかもNo.1になりたいのと違い、全ての事に二分極点(二本の箸)の平衡がとれることを強調する「箸文化圏」の箸文化のバランス意識である。本論はこのような箸文化のバランス意識について、物・物関係のバランス意識;人と物関係のバランス認識;人・人関係のバランス感覚などの特徴を見るものである。

人間と物との関係でいうと、いにしえから人間はまわりの自然資源をどのようにうまく利用するかという問題がある。戦いによって自然を征服する西洋思惟と違い、中国人にとっては「人、必ず天に勝つ」(荀子)という考えを克服し、人と自然の調和的にバランス関係を強調する「天人合一」の命題が主流となる。

 

天と人間との関係をどうとらえるかという問題は、中国伝統文化を貫く大きなテーマであるが、天・人を対立するものとせず、本来それは一体のものであると考えることを「天人合一」(てんじんごういつ)と呼んでいる。人間は「天」や自然環境とは理を媒介にして1つながりであるというのが、伝統的な中国の考え方である。

 

2000年前の漢代の儒学者・董仲舒は、人には天が投影していると考えた。彼の主張した天人相関説は、森羅万象と人の営みには密接な関係があると説き、1年の月数は人体の12節に、五行は五臓に、昼夜は覚醒と睡眠に対応すると論じた。天文で人の運命を読むのも即ち天人が相関関係にあるがゆえであり、帰する所、人体は全宇宙の縮図にして小宇宙であると説いた。天子が行う政治も天と不可分のものであり、官制や賞罰も天に則って行うべきであるという。

 

(漢)董仲舒『春秋繁露』に「求天數之微、莫若於人。從之身有四肢、每肢有三節、三四十二、十二節相持而形體立矣。天有四時、每一時有三月、三四十二、十二月相受而歲數終矣。官有四選、每一選有三人、三四十二、十二臣相參而事治行矣。以此見天之數、人之形、官之製、相參相得也。人之與天、多此類者、而皆微忽、不可不察也。天地之理、分一歲之變為以四時、四時亦天之四選已」とある。」とある。

 

今日の環境汚染問題と違い、中国伝統文化は自然を育成してその中に安んじ得るものが真の文化生活であると主張する。

 

人間と自然界との関係で、1つの簡単の例をあげてみる。筆者の統計によると、中国人の苗字で直接に植物を指す苗字は、直接に動物を指すそれの倍ほどある。例えば、ほぼ千年前に出来た『百家姓』という当時の代表的な504の姓を載せている本には、李・楊・秦・華・柏・米などのような植物、とくに穀物を指す苗字は39あり、馬・牛・羊・熊など動物、とくに家畜を指す苗字は18ある。

 

中国の姓を並べた経典である『百家姓』(ひゃっかせい)は、伝統的な中国の教育過程において子供に漢字を教えるための学習書のひとつ。著者は不明だが、宋初の人間であろうと考えられる。中国の代表的な姓を羅列してあるだけの内容だが『三字経』『千字文』と同様に韻文の形式で書かれている。『百家姓』と呼ばれているが、現在の通行本は単姓444・複姓60の合計504の姓を載せている。

 

4字を1句として偶数句末で韻を踏んでいる。なかに植物を指す姓は李、楮、楊、秦、華、柏、蘇、葛、范、苗、花、柳、薛、穆、蕭、米、茅、杜、藍、麻、梅、林、蔡、柯、荀、芮、松、蓬、葉、蒲、藺、桑、桂、艾、蔚、荊、竺、楚、穀梁などの39があり、動物を指す姓は馬、鳳、鮑、禹、貝、熊、駱、羊、烏、龍、翟、牛、燕、魚、夔、公羊、羊舌、巫馬など18がある。

 

苗字だけであるが、やはり農業文明の中国では、人がとくに農産物や家畜に親しくなっているという、自然環境に対する認識が現われている。それならば、中国人の伝統的な自然観にもバランス主義がみられるだろうか。

 

中国人の自然に対しての観念がよくあらわれる「薬」を具体例としたい。「薬」という字は約2000年前に書かれた字書の『説文解字』に「病を治す艸(草)なり」と解釈されている。漢方というクスリは基本的に薬草である。実は、中国だけではなくすべての古い民族はみな薬草に頼り病気を治療する時代が長かったはずである。古代メソポタミア・エジプト・ギリシャ・ローマ・イスラームなどみなそうだと聞く。しかし、中国においてはいにしえから薬草での治療がはやくから1つの専門分野となった。それが「本草学」と呼ばれた学問である。

 

「本草」という用語は、遅くともAD82年ごろ成立した『漢書』にも見られた、薬草学という意である。前2世紀に成立した『淮南子』修務訓に 
「古代の人は、(手当たり次第に)野草、水、木の実ドブガイ・タニシなど貝類を摂ったので、時に病気になったり毒に当ったりと多く苦しめられた。このため神農は、民衆に五穀を栽培することや適切な土地を判断すること(農耕)、あらゆる植物を吟味して民衆に食用と毒草(薬草の意)の違い(医療)を教えた。このとき多くの植物をたべたので神農は1日に70回も中毒になった」とある。

 

また、紀元3世紀の皇甫謐『帝王世紀』に「炎帝神農氏は、草木を嘗味し、薬を宣して疾を療やし、夭傷や人命を救う」とある。 
したがって中国人は遥かの昔から植物を健康によいものとわるいものに二分化し、よいものを「五穀」として「食用」のため農耕を発展させ、わるいものを「毒草」として誤食せず、病を治すために利用し、医療を推進させた。

 

漢方によって病を治すことは先祖代々やってきた経験であり、「化学薬よりまず漢方」という認識は今日にも根深く中国人のあたまに残っている。なぜそう信じているのかという最も大きな理由は、漢方治療の論理自体にある。その論理は、自然界のすべてのものはみなプラスとマイナスがあり、人間の‐と+に対して植物の+と‐の両面をうまく利用して、治療と救命を果たすことである。

 

また、漢方の治療理念も西洋医学とは違い、つねに「扶正」と「去邪」という両面の治療方針があり、いわゆる「扶正去邪」(ふせいきょじゃ)方法である。東洋医学では体の抵抗力が弱った場合、暑、寒、湿、燥、火、風という気候変化の要素(六気)によって6つの病気(六淫)になると考えられていた。ゆえに、病気には「扶正去邪」という考え方で対応した。つまり、六気は自然にあるものだからなくすことはできないので、体内に本来ある力(正)を強めて邪の要素を外に追い出すというのである。要するにバランスで物事を考えているのである。それだけではなく、薬療より食療、治療薬より栄養薬、手術より薬草だなどといったさまざまな手法があるが、一言でいうと、人間の体を気のバランスのよい状態に戻し、元気に回復することを目指しているのである。

 

それになにより、人間はうまく自然環境を守りつつ、利用してきた。草の一部に人工栽培を加え、穀物とし、一部に炮制を加え薬とするが、自然環境を破壊することはなく、人間は自分の周りの自然とは、近代化するまでずっと調和的なバランス関係をもってきた。

 
 
 

引用文献・参考文献


『荀子』『春秋繁露』『淮南子』『漢書』『説文解字』『帝王世紀』『百家姓』『本草綱目』

Pocket
LINEで送る

馬 彪 山口大学大学院東アジア研究科教授 1955年生まれ。歴史学博士。  1995年以来、北京師範大学歴史学部からの訪問研究員として来日(1995~1999東京大学、1999~2001京都大学)  2002年から現職(山口大学大学院東アジア研究科)    主要著書: ・『秦漢豪族社会研究』(中国書店2002年)  ・『秦帝国の領土経営:雲夢龍崗秦簡と始皇帝の禁苑』(京都大学学術出版会2013年)など(他20冊余)  ・論文100本余り。  古代と現代、中国と世界の境に跨ってる「境界人学者」と呼ばれる。