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第3回:グローバル化と看護教育を考える

樋口まち子 国立看護大学校 教授

1980年代後半のベルリンの壁の崩壊に続くソビエト連邦の崩壊、さらに、中華人民共和国が市場経済を原理とする資本主義経済を大幅に取り入れることにより、人、モノ、カネの移動範囲が劇的に拡大し、グローバリゼーションという言葉が広く使われるようになった。さらに、21世紀に入るとインターネットの普及で地域社会や国家の枠組み、人のつながり方の液状化・流動化が進行している。他方、人類は地球規模で感染症の拡大や高齢化など、これまでに経験したことのない健康課題に直面している。そこで、グローバル化が看護に及ぼす影響と極東の島国日本の看護がこれまで蓄積してきた知識や経験を活かしつつ劇的に変化する看護ニーズにいかに応えていくのかを考えるシリーズ連載。

1860年にクリミヤ戦争から帰還したナイチンゲールが設立した看護学校は、経験の積み重ねのみで行われていた看護を客観的根拠に基づく看護として教育を行い、看護が学問へと繋がる足がかりとなった。それまでナイチンゲールは英国内外の多くの知識人や文学者と親交を持ち、思想家の書物に触れる機会を持った。1840年代初頭に英国全体を襲った不景気で貧困者や病人であふれているのを目の当たりにし、慈愛や忍耐だけで彼らを救うことができないことを痛感し、公衆衛生学や統計学の資料やすでに教師や看護師教育を行っていた訓練施設の機関誌などを集中的に読み込んでいた。ナイチンゲールは看護師として就労するまで、10数年を要したが、それはナイチンゲールの看護哲学の基盤を作る期間であったといえる。
 
日本で系統だった看護師教育は1885(明治18)年に高木兼寛が設立した有志共立東京看護婦教育所に始まる。日本における系統だった看護教育は欧州とほぼ同時期から開始されていたといえる。他方、1871(明治4)年には“学制”が施行されたが、女子の教育に関しては“良妻賢母”の価値基準が支配的であり、女性への教育は消極的なものであった。また、1879(明治12)年に教育令が公布されたが、女子の就学率は15%にとどまった。その後、しばらく看護教育は文部省の管轄になることはなかった。1952年に県立高知女子大学家政学部看護学科が認可され、日本で始めて看護教育が文部省管轄で行われることとなった。家政学部で看護学科が設置されたのは、明治以来、家事教育に看護が加えられており、看護が家庭内の主婦の役割としてとらえられていたことと不可分である。当時は、「・・・看護婦になるのは高等小学校程度でよかったので、社会全体の看護婦というものについての評価は決して高くなかった。お宅のお嬢さんは女学校を卒業してどちらの方向にお進みですかと聞かれた時に看護婦養成所に入りますと答えれば、せっかく女学校まで出てどうして看護婦なんかにするのかというのが多くの人の考えであった」という。このような市井の人々の考えは、1951年に看護婦不足から中学校卒業後2年間で看護師を養成する准看護婦養成所が設立されたことや高知女子大学で看護教育を始めてから、半世紀余りで看護系大学はわずか11校設立されたに過ぎないことと無関係ではないと思われる。
 
1992年に「看護師等の人材確保の促進に関する法律」の施行等により、看護系大学は増加し続け、267校(2018年4月1日現在)に達している。日本の3.3大学に一つは看護系大学ということになる。一方、看護専門学校の数は、1,090校(2017年4月現在)で、いまだ、看護師教育は専門学校が担っているといえる。
 
1948年に看護職の質を担保するために「保健師助産師看護師法」が制定され、指定された教育内容の単位取得したものに国家試験受験資格が与えられるようになった。3年間の看護専門学校では13単位の教養基礎の内容と84単位の看護専門分野の内容を教えなければならない。また、看護系大学の大学設置基準では就業年数4年で124単位以上が卒業要件になる。そのうち、84単位は指定規則に即する必要があるので、27単位が大学の自由裁量で教育できることになる。1948年以降、社会情勢や健康問題の変化にともなう看護のニーズに応じて、指定規則の改訂が行われてきた。2008年の指定規則改訂で「看護の統合と実践」という科目が加わり、看護管理や災害看護とともに国際看護を教育することが義務付けられた。その説明の中で「国際社会において、広い視野に基づき、看護師として諸外国との協力が考えられること」と記載されている。これを機に各看護師養成所では、国際看護に関する内容の科目を取り入れ始めた。看護は理論の習得とその理論を実践できる能力を必要とする。したがって、看護教育者は各専門分野での実務経験を有することが前提になる。しかし、国際看護学が学問として専門的に独立したものになるのか模索の状況にあって、看護師の養成所はこの科目を担当できる教員の確保に苦慮している。
 
看護は国ごとに独立しつつも専門分野ごとに国の枠組みを超えて教育がなされている。特に、OECD (Organisation for Economic Co-operation and Development、経済開発協力機構)加盟国では看護学生が専門分野ごとに、他国の医療施設や地域で実習するカリキュラムを有し、グローバルな視点を養えるようにしている。学生時代のこのような経験は、移民が多いカナダや米国などでは、患者や住民の文化背景を尊重したケアの実践につながっている。また、諸外国では看護師も看護活動を通して、看護が身に着けるべき、文化理解、柔軟な思考、各地域特有の疾病や健康状態、環境と健康の相互作用などを理解する能力を養い、看護職としての成長が期待できるとして、国外の看護活動を推奨している。また、米国では母語が英語ではない看護師が直面する看護上の困難な点を分析した研究結果をもとに、看護の基礎教育課程及び看護師の継続看護教育のプログラムを実施し、多文化社会における看護の質を担保することに努めている。
 
日本では大学や学部新設時に、教員の学歴、教育・研究業績などが学位授与機構の審査をうけるが、開設年度以降の教員の人事は各教育機関に一任されるため、急激な看護系大学の増加も伴って、教員の質を担保することが難しい状況にある。その結果、国家試験の合格率が教育目標に収斂されがちになり、専門学校と大学卒業の学生の学習習得レベルが曖昧のまま、同じライセンスを得る専門職の複雑多岐に渡る看護教育システムが綿々と継続することになっている。
 
看護学は応用化学の一つであり、ケアの実践に繋がって完結する。医療の介入が始まる前や医療の介入が終了した後看護のニーズが継続される。看護は人生のすべての時期にその役割を担う。人間そのものと人間が存在するためにかかわるすべての環境とその関係性の理解があって看護が成立する。その活動の場が、今、地球規模で劇的に拡大している。ケアを実践する上で、看護者個々が生涯にわたって育成すべき看護哲学の芽を育む看護の基礎教育の再考が求められている。その土台が強固なものになれば、疾病別、年代別、専門分野別に発展している看護実践がさらに生きたものになっていく。それは、数世紀前からナイチンゲールをはじめとする看護教育の先達が実践してきたことでもある。
 
グローバル化の中で日本の看護職が専門職として国家資格にふさわしい活動ができるためには、看護教育システムの抜本的改革が必要なことは長年に渡る悲願である。また、各専門分野で看護教育を担うすべての人々が、グローバルスタンダードな教育を提供でるように国外で看護の実務経験を持つことができるような体制づくりが急務である。
 

日本の看護師教育制度

 

【左図】出典:文部科学省

【右図】日本看護協会の資料より作成

 
 

 

 

引用文献・参考文献


*佐々木秀美:歴史に見るわが国の看護教育-その光と影-青山社 2005
*高知女子大学家政学部看護学科30年年史編集員会
*www.aacnnursing.org/research-data

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樋口まち子 国立看護大学校 教授 経済学部と看護短期大学を卒業。タイの国立マヒドン大学で修士号(プライマリヘルスケア管理学)、スリランカのコロンボ大学で博士号(医療人類学)を取得。スリランカで青年海外協力隊、在スリランカ日本大使館専門調査員やJICAの専門家としてスリランカをはじめとするアジア諸国で10年あまりの国際協力事業に携わった後、岡山大学医学部講師・助教授、ミシガン大学ヘルスプロモーション研究センターで文部科学省在外研究員、静岡県立大学看護学部教授を経て、07年より現職。