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グローバル化と看護職移動を考える【第2回】

樋口まち子 国立看護大学校 教授

1980年代後半のベルリンの壁の崩壊に続くソビエト連邦の崩壊、さらに、中華人民共和国が市場経済を原理とする資本主義経済を大幅に取り入れることにより、人、モノ、カネの移動範囲が劇的に拡大し、グローバリゼーションという言葉が広く使われるようになった。さらに、21世紀に入るとインターネットの普及で地域社会や国家の枠組み、人のつながり方の液状化・流動化が進行している。他方、人類は地球規模で感染症の拡大や高齢化など、これまでに経験したことのない健康課題に直面している。そこで、グローバル化が看護に及ぼす影響と極東の島国日本の看護がこれまで蓄積してきた知識や経験を活かしつつ劇的に変化する看護ニーズにいかに応えていくのかを考えるシリーズ連載。

 
「2025年問題」と言われるようになって久しい。2025年は団塊の世代が全員75歳以上になる年である。また、日本の人口の3人に1人が65歳以上に、5人に1人が75歳以上になる超高齢社会を迎え、介護や看護を必要とする人々の数が急増することが予測される。

 
現在、就業している看護師は日本全体で約160万人であるが、2025年には約196~206万人の看護師が必要になると推計されており、今後、順調に増えていったとしても、最大で13万人の看護師が不足すると試算されている。少子化の現状を考えると、看護師の新規養成数を増加させることが容易ではなくなることも予測される。他方、看護師の資格を有しながら、就労していない、いわゆる潜在看護師が約71万人存在する一方、年間の新人看護師数と再就職の看護師数を合わせた数よりも離職する数が多いため看護師の不足数が増え続けている。

 
看護師の離職理由の17.7%が結婚、22.1%が出産・育児である。日本の女性の年齢階級別労働力率をみると、20歳代後半から30歳代にかけて比率が落ち込むいわゆるM字カーブを描いていることが特徴的である。結婚・出産・育児等のために労働市場から退出し、育児が落ち着いた後、再び労働市場に復帰するという女性労働者の就労行動の特徴がM字カーブに反映している。看護師の就労傾向は日本の女性の労働市場の状況と共通している。ただ、看護師はその専門性から数年のブランクが就労復帰を困難にしている。日本の女性の就業率はOECD (Organization for Economic Co-operation and Development、経済開発協力機構)の加盟34ヵ国中23位で、OECD平均の67.4%を大きく下回る35.7%である。世界114ヵ国の中で79位である。国際機関から再三に警告を受けているが、結婚・妊娠・育児によって女性の社会参加や自己実現を阻害されることのない制度づくりとその実施に向けたきめ細かな持続的支援が急務である。

 
第二次世界大戦後のベビーブームによる人口の急増と、新生児死亡率や乳児死亡率の減少により、日本だけでなく、世界中で高齢化傾向が進んでいる。また、出生率の低下により若年層の数が減少することによって、看護や介護を必要とする人々と提供できる側の数の差が拡大し、看護や介護の質量の低下という事態は深刻さを増すばかりである。アメリカ合衆国では、2024年には34万人の看護師が不足すると予測されている。また、看護師の40%が50歳以上で、年に8万人が定年で離職する。世界的な看護師不足は、看護教員の不足をもたらし、看護師の質量の充足の足枷(桎梏)になっている。米国では2016年に看護教員と実習指導者の不足で学士課程に入学資格のある64,000人を受けいれることできなかった。育児のために離職した合衆国の看護師は子供の成長後は復職を望む。それは経済的な理由と看護を提供する喜びへの渇望を満たすためである。勤務日数の短縮、責任の軽減、肉体的負担の軽減を復職の条件としていることから、雇用者側はこのような要望に即した職場の環境づくりに取り組んでいる。

 
外国人看護師が多く就労するニュージーランドは外国人看護師が看護師全体の25.4%、スイス18.7%、オーストラリアが18.1%を占めている。英国がEU(European Union, 欧州連合)脱退したことで、英国で就労していたEU諸国出身の看護師が離職し、看護師不足に拍車をかけている。また、英国では看護系大学への受験希望者が2017年には前年の23%減少しているため、看護師の充足が早晩には期待できない。同様な課題を抱えているOECD諸国は、国外からの看護師のリクルートを以前にも増して積極的に行っている。

 
2015年に国際連合が発表したSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)では、「誰一人取り残さない-No one will be left behind」を理念として、国際社会が2030年までに貧困を撲滅し、持続可能な社会を実現するための重要な指針として、17の持続可能な開発目標を設定した。世界的な貧困の格差拡大は、健康格差をもたらすが、感染症や母子保健の改善が遅れている地域でも、生活習慣病の増加や人口の高齢化が進んでおり、この傾向は、世界の人口の54%を占めるアジア地域の25カ国で顕著である。現在、全世界で1,840万人の医療従事者が不足しているが、そのうちの、1,034万人はアジア・太平洋地域が占めている。さらに、SDGsの目標を達成するためには全世界で2,680万人の医療事者が不足し、アジア・太平洋地域では1,413万人が不足すると予測されている。すでに、2017年7月 に 国際連合の事務総長であるアントニオ・グテーレスは、SDGsに掲げられている多くの分野の前進が2030年までに達成できるペースをはるかに下回っているとし、前進を加速すべく取り組みを強化する必要があると国連報告書で発表している。

 
後進国や中進国が政治経済的に力をつけてきたことに対抗すべくOECD諸国は自らが中心となった経済圏の強化を図ろうとし、地域ごとの経済連携協定の駆け引きが進んでいる。資源の中でも最も不確定な人的資源を確保することが市場経済における国の強化の生命線になる。先進工業国が保健医療従事者を吸収し、後進国や中進国の保健医療従事者不足が加速することで、国際的健康格差が拡大することが懸念されている。

 
日本は途上国から看護職や介護職分野の労働力を吸収し、途上国の人々の「文化的で健康的な最低限の生活」の補償を阻害しつつ、保健医療分野でのODA(Official Development Assistance、政府開発援助)やNGO(Non-Government Organisations、非政府組織)による国際協力へ繋がるという矛盾が生じることがないように当事者である看護職が問題の本質を見極める力を強化する必要がある。また、日本の看護職の離職に歯止めをかける取り組みが喫緊の課題である。EPA(Economic Partner Agreement、経済連携協定)下で、インドネシア、フィリピン、ベトナムから来日した、自国で看護師や介護士の資格を有する看護師候補者や介護福祉士候補者が、3年から4年間、看護や介護の補助をしつつ取り組んだ国家試験の合格率が10%あまり、介護福祉士の合格率は50%であり、そのうちの30%あまりがそれぞれ帰国するか、他職種で就労する道を選択しているという事実を深刻に受け止める必要がある。まずは、その実態を丁寧に掘り起こしデータとして蓄積することが必要である。徐々に進んではいるが、さらに、同職者である看護職者が中心的に行うことで日本における看護職者の離職及び潜在看護師の復職対策への道も開けてくるのではないだろうか。

 
 
 

引用文献・参考文献


*広報誌「厚生労働」2017・2
*厚生労働省:「看護職員就労状況等実態調査結果」2017
*独立行政法人 労働政策研究・研究機構:2017データブック国際労働比較
*Kent LN, For love or money: registered nurses who returned to hospital practice, J of nursing management, 2015, 23, 599-603.
*雇用アウトルック2016.OECD 2017
*AACN’s report on 2016-2017 Enrollment and Graduations in Baccalaureate and Graduate Programs in Nursing
*Atken LH, et al. BMJ Qual Saf 2017; 26:559-568
*OECD Health Statistics 2017
*ILO報告書 2018

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樋口まち子 国立看護大学校 教授 経済学部と看護短期大学を卒業。タイの国立マヒドン大学で修士号(プライマリヘルスケア管理学)、スリランカのコロンボ大学で博士号(医療人類学)を取得。スリランカで青年海外協力隊、在スリランカ日本大使館専門調査員やJICAの専門家としてスリランカをはじめとするアジア諸国で10年あまりの国際協力事業に携わった後、岡山大学医学部講師・助教授、ミシガン大学ヘルスプロモーション研究センターで文部科学省在外研究員、静岡県立大学看護学部教授を経て、07年より現職。