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消費者の価格の捉え方を理解する【第1回】消費者による価格の記憶は、正確なのか

白井 美由里(しらい みゆり) 慶應義塾大学商学部 教授

消費者行動研究は、マーケティング研究の一分野で、主に消費者の製品やサービスの購買に至るまでの心理的なプロセスを解明しています。消費者の購買意思決定に影響を与える要因は様々ですが、中でも「価格」は、どの製品やサービスにも共通して重視される要因です。したがって、消費者行動を理解するためには、消費者の価格の捉え方を理解することが重要といえます。そこで本連載では、消費者が価格をどう捉えているのかを情報処理の観点から解説します。

第1回:消費者による価格の記憶は、正確なのか

 消費者が商品や広告などの外部情報を、目、耳、口、鼻、および皮膚といった感覚受容器を通して受容し、それを処理が可能な形式に符号化してから記憶するまでの過程を「情報処理過程」といいます。人間の脳をコンピュータのような情報処理装置として捉え、情報を入力、処理、そして出力すると考えるのです。価格の情報処理過程という場合には、消費者が特定の販売価格に目を向け、それを符号化して記憶するまでの過程のことを指します。本連載では、代表的な研究を紹介しながらこの過程について解説します。第1回は記憶に焦点を当てます。
 
 消費者行動研究でよく知られた研究に、ディックソンとソーヤーが行った価格記憶の研究があります(Dickson and Sawyer 1990)。なぜ有名なのかというと、消費者が自分の選択した商品の価格を、選択直後であるにも関わらず正確に覚えていないという驚きの結果を発表したからです。消費者が購入商品の価格について正確な知識を持っていないことは、それ以前の研究からも報告されていましたが、それらの研究では、その知識を商品選択から短くて数分、長くて数日が経過した後に測定していました。そこでディクソンらは、商品の選択直後ならば、消費者はもっと正確に想起できるのではないかと予想したのです。
 
 調査は、高級住宅地域と低級住宅地域に立地する4つのスーパーマーケットで行われました。店に来た買い物客の内、コーヒー、練り歯磨き、マーガリン、シリアルのいずれかをショッピングカートに入れた顧客を対象とし、カートに入れてから30秒以内に声をかけて、その商品の価格がいくらだったかを尋ねました。結果は、正確に想起した人が20.9%、±5%の誤差で想起した人が26.2%、±15%の誤差で想起した人が31.8%、全く想起できなかった人が21.1%となりました。また、価格をチェックしたと回答した人は57.9%、売り場に到着してから離れるまでの時間は12秒以下だったことも報告されています。それまで消費者の低価格志向や価格感度の高さが様々な研究から示されていたので、価格への関心が高いはずの消費者の価格知識がそれほど高くないという結果は、研究者の関心を集め、価格情報処理研究をさらに進展させるきっかけとなりました。
 
 なぜ消費者は選択したばかりの商品価格を正確に覚えていないのでしょうか。この疑問に対して導かれた一般的な結論は、買い物客は購買意思決定において常に価格に注意を向けるとは限らないというものでした。それは、価格は購買時に重視されないと考えることもできました。しかしその後、モンローとリーが提唱した考え方は、その曖昧な結論に一石を投じました(Monroe and Lee 1999)。それは、消費者は選択した商品の価格を正確に覚えていなかったとしても、価格の知識を持っているというものです。
 
 人間の記憶には顕在記憶と潜在記憶があることが知られています。モンローらはこの2タイプの記憶と関連づけて価格知識の構造を説明しました。顕在記憶は、消費者自身の過去の経験や出来事に関する情報で、意識的に想起されるものです。エピソード記憶とも呼ばれます。これに対し、潜在記憶は、過去に接した情報を無意識的に想起したものであり、スムーズに想起されると情報処理を促進します。
 
 モンローによると、価格を覚えているかどうかの判断と知っているかどうかの判断では、用いる記憶が異なります。「覚えている」とは、顕在記憶の意識的な想起であり、価格を見たという経験を意識的に思い出すことです。例えば、「どこどこのスーパーで商品Aが○○円で売られていた」といった記憶がある場合、それは顕在記憶であり、価格が意図的に処理され印象的な出来事として記憶されたものなのです。これに対し「知っている」とは、自動的・無意識的な処理によって向上する精通性の感覚をベースとしています。何度か購入したことのある商品の買い物では、だいたいの価格は分かっているため(潜在記憶があるため)、価格をしっかり確認する必要はなく、迅速に選択ができるのです。また、価格に注意を向けたとしても、無意識に行っていた場合には顕在記憶が作られないため、後で価格を尋ねられたときに「覚えていない」「価格を見なかった」といった反応が生じます。
 
 つまり、ディックソンらが測定した価格想起は、顕在記憶を確認しているに過ぎないのです。消費者が価格を覚えていないのは顕在記憶がないからであって、価格に関心がないのではなく、価格の潜在知識があるからなのです。消費者は、価格の情報処理の多くを自動的で無意識に行っているのです。
 
 近年では、ジェンセンとグルナートがいくつかの価格知識を測定し、比較しています(Jensen and Grunert 2014)。対象としたのは3つの価格知識で、一つは、前述のディックソンとソイヤーが測定したものと同じ選択直後の価格想起です。これは、消費者が顕在記憶を持っていれば精度は高くなると考えられています。二つ目は価格再認で、関連する手がかりがあれば顕在記憶から価格を想起できることです。ジェンセンらは、これを6つの価格の中から正しい価格を選択してもらう再認記憶テストで測定しています。三つ目は潜在的価格知識で、顕在記憶が無くても持っている潜在記憶です。測定では、4つの価格(通常価格±10%と20%)を一つずつ見せて、通常価格よりも高いか低いかを回答させるディール・スポッティングという方法を採用しています。潜在的価格知識は複雑で様々な形式で保存されていますので、この方法はその中の一つを測定するものであるということにご留意ください。
 
 調査は、ハイパーマーケットとスーパーマーケットで行われました。対象とした製品カテゴリーは、マーガリン、歯磨き、ミューズリー、ジュース、オリーブオイル、サンドイッチ用チョコレート、ケチャップ、およびコーヒーです。店に来た買い物客に、入店時、商品の選択直後、店を出るときのいずれかで3つの価格知識を順に測定し、知識がそれぞれ正確だった人の比率を計算しました。この比率を3時点で比較した結果は、3つの価格知識すべてにおいて入店時が最も低くなりました。また、選択直後と店を出るときの比率に差はなく、選択直後に上昇した価格知識は店を出るまでは維持されることが示されています。さらに、比率を3つの価格知識で比較した場合には、価格想起が最も低く、ディール・スポッティングで測定した潜在的価格知識が最も高くなりました。価格想起が最も難しいタスクで、手がかりなしで想起される顕在記憶は他の2つの知識と比べると作られにくいことが示唆されています。
 
 以上をまとめると、消費者は価格情報を意識的か無意識的に処理した後、それらを顕在記憶か潜在記憶に保持するので、選択した商品の価格に注意を向けなかったり覚えていなかったりしたとしても、別の形に変換された価格知識を活用しながら購買意思決定を迅速かつ円滑に行っているのです。
 
 
参考文献
Dickson, P. R. and Sawyer, A. G. (1990), “The price knowledge and search of supermarket shoppers,” Journal of Marketing, 54 (3), 42-53.
Jensen, B. B., and Grunert, K. G. (2014), “Price knowledge during grocery shopping: What we learn and what we forget,” Journal of Retailing, 90 (3), 332-346.
Monroe; K. B. and Lee, A. Y. (1999), “Remembering versus knowing: Issues in buyers’ processing of price information,” Journal of Academy of Marketing Science, 27 (2), 207-225.

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白井 美由里(しらい みゆり) 慶應義塾大学商学部 教授 慶應義塾大学商学部 教授。博士(経済学) 1987年カリフォルニア大学サンタクルーズ校卒業(コンピュータサイエンス、応用数学専攻)。1993年明治大学大学院経営学研究科博士前期課程修了。1998年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。ペンシルバニア大学ウォートンスクール、デューク大学フークアビジネススクール留学。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授を経て、2015年より現職。
ホームページ:http://miyurishirai.my.coocan.jp/